2018/10/4
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第1回 うつくしま、ふくしま。ジャーニーラン250㎞(鈴木) |
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この大会は、東日本大震災によって悲惨な状況となって、いまなお復興途上である福島に元気を届ける目的でスポーツエイドジャパンの館山会長の熱い思いにより実現したものです。 少し、この館山会長の言葉を引用します。 『東日本大震災によって引き起こされた福島第一原発の事故は、まだ終息していません。解決していない問題が山積しています。被害に苦しむ多くの人たちがいます。復興には程遠い現実がそこにあります。 日本の原風景を残した「うつくしま、ふくしま」。情が厚く我慢強い東北・福島の民… 私は、宮城県に続いて福島県でも「私たちができること、私たちでなければできないこと」を実践しなければならないと決めておりました。 それが福島県をめぐるランニングイベント開催でした。仙台市在住の市民ランナー・平間光江さんが教えてくれた「走ることで元気を届けること」を現地で実施することでした。が、諸事情によりなかなかそれが実現できないまま、いたずらにときが流れていきました。 それから6年を経た2017年、私と同じ思いを抱いていた福島県会津若松市出身の飯山美由紀(本大会実行委員)との出会いがありました。 そして、兼ねてから私たちが主催する大会に参加していただいていた五島政博さん(仙台市在住)の惜しみない後押しがありました。 ようやく私の宿願が叶えられることになったのは、まさにお二人との出会いがあったからこそです。感謝の念に堪えません。 ということで第1回の開催となった大会であったので、これは参加するしかないと決めて122kmと250kmの部があったが、記念すべき第1回でもあるので250kmにチャレンジすることにした。 スタートは南相馬市のサンライフ南相馬を9月15日(土)午後6時で、ゴール関門は、郡山駅近くの「まねきの湯」で17日(月・祭日)の午後8時となっている。コースは図のようになっていて、ハーフは郡山まで、フルは郡山からさらに会津若松まで行って郡山に戻ってくる。当然、翌日から仕事があるのでゴール後に郡山駅発の最終の新幹線に乗る必要がある。 協議説明会が14時30分から17時まであり、Facebookで馬鹿話をしていた方々とお会いすることができ、楽しい会話が弾んだ。 スタートの午後6時は薄暗くなっており、ヘッドランプを装着してのスタートとなった。今回は、練習不足ということもあり、タイムではなく完走を目的としたので、スロースタートで最後尾についた。通常であれば、Googleなどでコンビニの位置などをチェックしてスマホにインプットしておくのであるが、今回は忙しくルートをGoogleマップにインプットするのが精いっぱいであった。当然タイムスケジュールも組むこともできず、何から何までぶっつけ本番の状況であった。 途中のチェックポイント(CP)は、122kmの部のゴールである「まねきの湯」を含めて15箇所あり、この「まねきの湯」は250kmのゴールにもなっている。つまり、一旦CP7のまねきの湯を経由して、会津若松方面に行き、背炙り山というこのコースの最大難関を超えてまた、「まねきの湯」に戻ってくるのである。 スタート後、ゆっくりとしたスピードということもあり順調に進み、17kmぐらいのところにある最初のコンビニに立ち寄ってエネルギー補給を行った。ここで数人の知り合いランナーに会い、ゆっくりとした速さでしばらく並走していたが、地図無いことに気づいた。どうもコンビニで落としてしまったらしい。仕方ないのでGoogleマップを見ながら進むことになったが、あるところで何か変な操作をしたのかマップが全て消えてしまった。これは大変なことになってしまった。仕方なく知り合いのランナーと一緒に進むことになった。しかしその方は122kmの方で完走できればよいペースだったので、同じペースでは250kmの完走は危ういものとなる。250kmの方も1名いたが、既に122kmで終わらせる計画に変わっていた。 しかし、みんなでわいわいがやがや走るのも悪くはない。福島市に入るまでの阿武隈高地は真っ暗闇で、何気に空を見上げたらなんと星の数が半端じゃない。みんなでヘッドランプを消してみたら何と天の川まではっきり見え、得した気分になった。 そうこうしているうちに登り基調の道も下りに変わり、福島市も近くなったところで、しばらく道は単純になるので地図はないが集団から前にでて、ベースを上げることにした。しかし、タイム表を作っていないため、どこを何時に通過すれば完走圏内なのかが分からないため、何しろ一生懸命前に進むしかなかった。 夜も明けて福島駅を順調にクリアするとランナーもぼちぼち見える範囲にいるので地図無しでもなんとかなりそうであったが、二本松市へ向けてとんでもないアップダウンにつかまってしまった。「えぐい」と表現するランナーもいるほどしつこいアップダウンで、気温も上昇し、湿度も高いことがあり、登りはほとんどのランナーが歩いていた。 CP4の智恵子記念館前で数名のランナーが休憩していたが、時間的にはまだ余裕があるということなので、私も少し飲食休憩をしてから次のCP5本宮駅に向かった。 「えぐい」坂はまだまだつづき、完全に戦力を喪失してしまった。 CP7のまねきの湯が近くなるとランナーが多くなってくるが、みんなハーフのランナーである。完走は間違いない時間ということで歩いている人が多い。 地図の無い私もつられて歩いてしまい、そのままCP7のまねきの湯に午後4時過ぎに到着した。この関門時間は17時なのでクリアはしている。 しかし、ここでお風呂に入って着替えをしたら再度スタートをきれるだろうかという迷いが生じた。スタッフの話しでは、ベテランランナーもどんどんこの温泉に吸い込まれていったとのことで、そうであれば、私もこの温泉の名前「まねきの湯」に素直に従って招かれることにした。いつもなら、「まだ完走できるからさっさと行きなさい」と、スタッフから”喝”を入れられるのであるが、「DNF宣言は取り合えず温泉に入ってからでもいいですから」と優しかった。よくよく考えると、ここまで122kmを23時間かけてきたので、残りの128kmを24時間で走れるかという問題の正解は何かである。しかも後半は、このコースの最大の難所である背炙り峠も控えている。私が出した正解は、「DNF」であった。温泉にゆっくりつかり、のんびりと帰路についた。 まったくダメージが残っておらず、非常に悔いが残る大会であった。来年は準備をしっかりとしてリベンジしたいと思います。 |
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