2022/2/4
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あの頃みんな若かった!バトンは次に(渡邉) |
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早いもので45周年が巡ってくる。人生の半分は走ろう会のお蔭で元気でいられることは間違いないけれど、年を重ねた今、若い仲間が増え、長い歴史に新風が吹きこんで来た楽しい雰囲気に、うれしさと一抹の寂しさを感じている。朝練で溌剌とした足どりを目の当りにした時、かつて一日に一回はジョキングシューズを履かないと、眠れないほど走ることがうれしかった思い出がよみがえり、胸が熱くなった。 あちこちの大会に走ろう会で一緒に参加を始めた矢先、48才で相棒を失くし2人の子供を大学、社会人へと送り出すまでの生き様は、仲間の人たちがいつも声をかけ誘い出して下さったおかげで、一人では走ることを続けられなかったと感謝している。“お母さんは回遊漁”と娘に言われながら、とにかく沢山の大会や周遊ランに仲間と共に参加した事は、大きな財産であり今も力を与えてくれている。 奥の細道2400㎞走に仙台から、1日30~40㎞をリュックを背に走り、難所の月山登山では大雨の中、8合目の茶店のおじさんにもらった透明のごみ袋を雨具の上にかぶり、頂上へとたどりついたこと、富山では高岡走友会の人達が伴走して下さり、名所旧跡をめぐることが出来たことなど忘れられないけれど、平成5年5月5日に大垣にゴールしたメンバーは今3人しかいない。続いて「日本の裂け目を走る」と名付けた「塩の道」で新潟の糸魚川から静岡の興津まで2年かかって330㎞を走れたなんて走ろう会ってすごい!とばんざいした写真が誇らしい。 楽しく走ることをモットーに、毎年何チームも出場した皇居の回りのOB駅伝は絆が濃く、今ギオンスタジアムのまわりでリレーや記録会を行っている姿に、仲間と一緒にいっぱい思い出を作ってほしいと思う。長距離走も楽しそうでいいな~。3月には85才を迎え、機動力が無くても、戦力外勧告を受けても、走ろう会の一員であることを誇りに、元気で歩き、みんなにもエールを送りたい。 |
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