ランニングクラブ

相模原市市民走ろう会
相模原公園、淵野辺公園で練習を行うランニングクラブです。
共通の趣味であるランニングを通じて、健康的で楽しいひと時を過ごしましょう!
 会長:津金 連絡先:御手洗 090-7812-6490 sagamiharashirc@gmail.com
  
2021/6/4

「川の道」レポート(鈴木)

昨年は、コロナ禍のために中止になった日本列島横断川の道フットレース(503km)が、今年はスタート地点を急遽川越に変更して開催されました。

思えば、55歳の時に初めてチャレンジしてから10年目となりますが、まさかこの歳になっても走っているとは考えていませんでした。

昨年12月から3月ぐらいまで仕事が忙しく、ほとんど練習ができない中、3月末に開催された小江戸大江戸200kは想定どおりDNF、しかも僅か60kmで力が尽きた結果となりました。今回は不安だらけでスタートに立ちました。

【第1ステージ 141.9km】川越→熊ケ谷→秩父→小鹿野町(レストポイント:両神荘)

朝から快晴で、昼過ぎには25℃ぐらいまで気温が上昇。まだ、体の暑さ耐性ができていないためか、40km過ぎぐらいから熱中症気味となり、自動販売機が無い荒川土手を走る間、脱水症状に悩まされた。夜間になり、荒川の土手から開放されコンビニで休憩ができるようになってから多少辛さが取れてきた。そして90km地点のCP5熊谷警察署ぐらいから多少走ることができるようになったが、今度は左膝に痛みが出て思うように走れない。さらに、前日の熱中症のダメージも大きく日差しが強くなってくると不安感も相まってフラフラな状態になってしまった。それでも最初のレストポイントとなっている両神荘には5月1日の13時半ぐらいにたどり着くことができた。夕方に出発する予定で仮眠したが目が覚めると雨がひどく、天気予報を調べてみると数時間で止むことが分かり、体を労わる必要もあったので雨が止むまで2度寝することにした。

この両神荘では温泉に入ることができ、スタッフが用意してくれた食事もしっかり食べられたので、体は大幅に快方に向かった。

【第2ステージ 107.7km】両神荘→志賀坂峠→上野村→下仁田→内山峠→佐久→小諸(レストポイント:グランドキャッスルホテル)

両神荘を21時半に出でから登り基調のため、膝をかばう必要もあったのでCP9志賀坂峠(164km)まではほとんど歩いた。この間、ラン友さん2人と勝手に並走させてもらった。今までこんな時間に両神荘を出たことがなく、私が出たときに残っていたランナーは1人だけで完走への不安が頭をよぎった。

膝の痛みは、不思議なことに走っている時よりも歩くと痛くなるというおかしなものだったので、上野村からCP10下仁田(203.1km)までの約20kmはゆっくりと走ってみた。この区間は車でも通ったことがなく、上野村から全長3.3kmの湯の花トンネルを抜けて南牧村に入ると、桧沢川、南牧川を見ながらの長閑なコースとなり、気持ちよく走ることができた。下仁田付近では、バイクに乗った女性に声を掛けられてびっくりしましたがラン友さんの応援で励みになった。

今年はいつもの長野県に抜けるコースとなっているぶどう峠が通行止めのため、上野村から下仁田に出て、国道254号線を使い佐久まで出るコースに変更していた。このコースは、ぶどう峠よりもはるかに楽だと参加者からは噂されていた。しかし実際に走ってみると、途中にある内山峠までの約15kmは、斜度は小さいものの、これでもかこれでもかという登り坂の連続で何度も心が折れた。

内山峠の手前のこんにゃく店で少し休憩、みそおでんを頂き気持ちを切り替えて一気に小諸まで行く決意をした。しかし、内山峠手前からは天気が急変し、冷たい雨と冷たい風との闘いになった。峠にある内山トンネルを歩いていると、吹き抜ける強烈な冷風で体が芯から冷えてしまい、更にトンネルを出るとみぞれ混じりの雨。しかしラッキーなことにその直後、ゴッドハンドのラン友さんが現れ、膝をゴリゴリ。これで膝の痛みがウソのようにすぅーっと消えて走ることが可能になった。走っていても体が温まらず、半袖にウィンドブレーカーしか着ていないため、歩いていたら低体温症になっていただろう。CP13小諸(249.6km)に到着したのは5月2日の20時半ぐらいだった。

ここでは、毎年しっかりと睡眠をとっていたが、今年は到着が遅いため多少無理をして午前3時頃に出発しようと計画をしていたが、目覚ましを掛けずに寝込んでしまい、目が覚めたらなんと5時を過ぎていた。こうなると半分開き直りで、朝食をしっかりと食べてストレッチなどもしっかり行い、7時半に出発した。

【第3ステージ 133.4km】グランドキャッスルホテル→上田城→善光寺→飯山駅→栄村→津南町(レストポイント:旧三箇小学校)

天気は快晴だったので防寒対策なしでホテルを出たが、何と気温は2℃。直ぐに防寒対策をして膝の調子を確認しながらトロトロ走り出した。

CP14上田城(278.2km)を過ぎ、長野方面に向かう道では強い日差しを押さえるように心地よい向かい風が吹き、快調に走ることができた。お昼ぐらいまでほとんど歩かず止まらずで、お腹が空いてきたときに丸亀製麺があったので、ここでしっかりと昼食をとった。その後もCP16善光寺(306.5km)までしっかりと走れたが、善光寺の境内で歩きはじめたことから多少だらけ始めていた。その時、小諸をスタートしたハーフ(256km)の女性トップランナーが追い越しざまに声をかけてくれたのでまたまた気合が入ったが長続きはせず、途中からCP17浅野交差点(320.9km)までは歩くことが多くなった。

浅野交差点からはアップダウンが続くので、歩くか走るか迷ったが、暗くなってしまうと眠くなるので、とりあえず暗くなるまでは走ることにした。この付近から飯山までは、明るければ長閑な千曲川の景色を見ながら走ることができるが、今年は暗い夜道になってしまった。CP18飯山駅(337.8km)手前のすき家で夕食をとる予定でいたが、やはり想定通り激しい眠気が何度も何度も襲ってきて、壁に寄りかかり立ったまま寝たりしていたため中々すき家に辿りつけない。そんなところにまたもや車で応援に来ていたラン友さんが声をかけてくれたので目が覚めて無事にすき家に到着。ここでうな重をしっかり食べて、野沢温泉村、栄村、津南までのアップダウンが多い夜間走のエネルギーを補給した。

いつもであれば、この区間には私設エイドが2箇所出るが、今年は主催者からコロナ感染予防対策の一環として私設エイドは禁止されていたため、津南のコンビニまで休むところはなかった。しかし、2人のランナーと並走したことによって、眠気はあまり来ないで最後のレストポイントとなっている津南町のCP19旧三箇小学校(383km)に5月4日午前10時半ぐらいに到着した。

【第4ステージ 120km】旧三箇小学校→小千谷市→長岡駅→三条大橋→大野大橋→日本海→ゴール(海の家 静浜亭)

4時間ぐらいの仮眠と食事をして、16時過ぎに旧三箇小学校を出発し最後の120kmに臨んだ。スタート前に天気予報を調べたら、新潟市内は昼過ぎぐらいから雨模様となっていたので、午前中にゴールをしたかった。逆算すると16時にスタートすると20時間で120kmということになる。120kmのウルトラマラソンであれば十分にこなせる時間であるが、ここまで400km近く走っている体力では、トイレ時間や食事時間なども考えるとかなり厳しい。しかし、ダラダラ歩く時間を少なくして、気持ち的には、「ゆるゆるのフルマラソン(40km)を3本走る」と言い聞かせてスタートした。

スタートしてから30km弱のところにあるCP20魚沼橋(411.8km)の到着が19時半過ぎで1本目のフルマラソンとしては快調に進んだ。この先順調にいけば、スタートから40km地点となる小千谷市内のラーメン屋さんの営業時間に間に合うと思ったが、ラストオーダーの21時半を過ぎてしまった。仕方なく前日と同じとなるがその先にあるすき家にチェックイン。またもやうな重で元気を充電。そして気持ち新たに2本目のフルマラソンをスタートした。

次のフルマラソン40km地点は、CP23三条大橋(474.9km)となり、1本目と同じぐらいのペースで走れれば、朝5時半ぐらいまでには到着でき、午前中のゴールも見えてくる。

快調にCP21越の大橋(439.3km)、CP22長岡駅前(441.8km)を通過し、一つの区切りとなる国道8号線のバイパスには夜が明ける前の4時過ぎに出ることができた。この場所は約30km地点で2本目フルマラソンのゴールとなるCP23三条大橋までは残り10kmぐらいとなり、計画通り進んでいることになる。

しかし、ここで天気予報をもう一度確認したことが大きなマイナス要因となった。なんと午前9時ごろから本格的な雨という予報に変わっていたのだ。今のペースで頑張ったとしても途中で必ず雨に降られてしまうことがわかり、今までの緊張感が一気に吹っ飛び、走る気が全くしなくなってしまった。歩いていると眠気が襲ってきてあちこちで寝落ちしてしまう。それでも2本目のフルマラソンのゴールとしていたCP23三条大橋には午前7時ぐらいに到着できた。

この先2時間もすると雨に降られるので雨対策もしなければならないし、お腹も空いたので三条のマクドナルドで朝マックにすることにした。

ここでしっかりと朝食をとり、少し仮眠もさせてもらい8時半ごろに雨対策もしてスタートした。残り40kmの3本目のフルマラソンであるが、当初の気合は入らず、歩きも入れた適当な走りになった。しばらくすると雨がパラパラと降ってきたが、レインウェアを着るほどでもないのでそのまま進んだ。

最後のステージの最大の難所は直線地獄である。回りが田んぼで見える限りの直線道路、走っても走っても大きな景色の変化がなく、一生懸命走ったという実感が伴わず眠気はばかり襲ってくる。そして、白根の市街地を避けるために最近完成した白根バイパスは5km程度ではあるが、回りは田んぼでコンビニなどの店は何もなく、直線ではないが農道を超えるためのいくつものアップダウンは500km近く走った足に効いてくる。

極力前を見ないように下を向いて走り続けこの区間を乗り越えた。そして残り10kmとなるCP24大野大橋には昼過ぎに到着した。結局レインウェアを着るほどの雨は降らず、天気予報に騙された結果となった。

日本海到着の記念撮影スポットとなっている最後のCP25信濃川関谷分水路口でスタッフから祝福のビールを少し頂きゴールに向かった。

今年から、今までゴールとして利用していたホンマ健康ランドが閉館となったため、ゴール地点が日本海に面した海の家 静浜亭に変更になり、ラスト2.5kmは日本海を眺めながらのコースになっていて気持ちよくゴールすることができた。

 初日の熱中症、脱水状態、膝の痛みによる遅れが、かなりメンタル的なプレッシャーにはなったが、無事にゴールすることができた。結果は、123時間54分20秒で、94人中35位とまずまずの成績であった。

スタート地点の東京都に緊急事態宣言が発令され、一時は今年も開催が危ぶまれましたが、急遽スタート地点を変えるなど、労力を惜しまず開催してくれたスポーツエイドジャパンのスタッフ、エイドステーションやレストポイントで美味しい料理と笑顔で励ましてくれたスタッフの皆様、眠い時に現れてくれた応援のラン友さんに感謝するとともに、来年は、密になって走ることができ、チョー密密な打ち上げが出来るという希望を持ち、みんなに置いて行かれないように走力とメンタル維持の努力をしていきたいと思います。

 ちなみに、私はレース3日前にPCR検査を実施、レース終了の10日後にもPCR検査を実施して陰性を確認しました。