2021/2/5
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会報300号記念 |
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会報300号記念 皆さんから寄せられたコメント ありがとうございます♪ 会報300号記念にと、小林加代子さんが皆さんに一言コメントを・・・と呼びかけて下さいました。多くの方々から寄せられたコメント、ありがとうございました。会報は、大勢の方々がお忙しいお時間をさいて、ランやウォーキング・自転車等で皆さんのお手元に届けて下さっています。毎月の事、ホントにありがとうございます。心から感謝しております。そして、編集者へ沢山のねぎらいのお言葉も重ねてありがとうございます。200号からあっと言う間に300号へとたどり着きました。近況報告も含め皆さんからのコメント、早速ご覧いただきましょう。 敬称略、編集の都合で順不同になっています。
♪「走ろう会 回顧」渡邉美智子(83歳) 会報が300号を迎え、年月の経つ早さにおどろいていると共に、コロナ禍で生活様式が変わり、活動中止の中にいても、世界情勢から仲間の誕生日まで、毎月会報で知り、みんなと共有出来ることに感謝しています。 45年ぶりに、ずっと関わってきた元旦マラソンが中止になり、沢山の思い出の中の走ろう会活動に、一抹の寂しさを感じながら“明けない夜はない”ことに希望を抱いています。私にとって、走ろう会は元気の源だから。
♪「祝 会報300号」東原誠逸(88歳) 今月、令和3年2月号が会報300号との事で、おめでとうございます。 300号に達するには、25年の歳月を要します。その間、途切れることなく25年間を続けていた事になり驚きです。それには、編集発行される御手洗ミチ子さんの努力は勿論ですが、会報に投稿して下さる会員の方々のおかげでもあります。お顔を合わせることが出来なくても、会員の方々の活躍や行動を知ることが出来、会員の一体感が生まれていると思います。今後も末永く続くことを祈っております。
♪「300号に寄せて」小林加代子 会報300号!おめでとう! 御手洗さん凄い!ありがとう!。 200号のときは「ちょこっとパーティ」で飛田さんの生演奏もあり、盛り上がって楽しかったのに、今年の現状では何もできないですね。 集まれなくても、毎月の会報があるので、皆さんが日々コツコツ努力していることを知り、刺激を受けています。 自転車や歩きや、走って会報配りしてくださるかたが何人もいます。皆さん自分の健康のため、ランニングの練習のため。 感謝です。 8年後400号は、「ばっちりパーティ」開催しましょ。
♪「300号おめでとうございます」徳井 浩 走ろう会の会報300号おめでとうございます。私が走ろう会に入ったのは2018年5月で,今までいただいた会報は32号分。300号と言ってもピンと来ないので,手元にある会報を平積みにして厚さを図ったら2㎝ほど。これが300号分あるとすると,何と厚さは20㎝以上になります。本当にとてつもないことですね。そして,1号1号にみんなのランニングやマラソンに対する熱い思いが詰まっています。 これも,御手洗さんがお忙しい中,自分の時間を犠牲にして,会報作りを続けてくださったお蔭です。御手洗さん 本当に有難うございました。これからもお元気で,みんなのために情報発信を宜しくお願いします。
♪「お祝い 会報200号」 田頭 章 なかなか出来ない偉業を事務局はじめ皆さんの協力で300号が発行されました。心よりお祝い申し上げます。走ろう会のこれまでの運営は、多分順風満帆ではなく長い苦難の道のりだったと推察します。しかしこの会報のお陰で会員相互のコミュニケーションがとれて、総合的に大会の結果とか、走ろう会独自の健康的なイベントを企画、実行して頂いて楽しみが多かったのですが、現状はコロナ禍で思うような活動は限られてしまっています。そのため会報に載せる記事も少なく苦しい局面だと思います。こんな時こそずーっと皆さんと協力して自分の体験、ご意見等を事務局に寄せて会報の発行が少しでも楽になるようにしましょう。そのことが次号の301号~400号への出発になると思います。どうか大変でしょうけどお願いします。楽しみにしています。
♪「300号おめでとう」奥寺孝夫 300号おめでとうございます。素晴らしいことです 走ろう会がこれほど長く続いたのも会報あってのこと、と言っても過言ではないと思います。ありがとうございます。これで気を抜かず記録を延ばして下さい 落ち着いたら300号突破記念祝賀会をやりましょう
♪池田 満由美 明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願い致します。 次回は300号と伺いました。おめでとうございます。何十年分の会報誌になるのだろうかと考えていました。ロングラン!素晴らしいです。今朝軽いジョギングに行ってきました。走後は寒さも吹き飛び、空の青さも際立ち清々しい気分でした。マラソンは素晴らしいです。肉体精神共に栄養なんだと改めて思いました。コロナに負けず、今年はもっと朝練やロングランに参加したいと思っています。皆様、どうぞ宜しくお願い致します! 2021.1.23
♪小内美和 御手洗さん、会報300号達成おめでとうございます! 25年間発行し続けてるんですよね…本当に頭が下がる思いです。 歴史ある走ろう会がこれからも長きに渡り継続できるよう、微力ながらお力添えできましたら幸いです。 これからもよろしくお願い致します。
“祝”「会報」300号おめでとうー!! (御手洗ミチ子さんありがとうございます) 天野 良行 すごいな~! 25年間、それも1か月も休むことなく「会報」の発行に携わり、走り続けた人生。 種々困難もあった事でしょう。感謝。感謝。感謝。何と素晴らしいことでしょう! 相模原市市民走ろう会の「会報」は、本会、継続の大きな「礎」となっています。 本会への献身的な活動には、言葉に言い表せないくらい、頭が下がります。改めてありがとうございます。 私は、2005年5月に入会(61歳)をさせて頂き、翌月の「会報」115号に紹介されていました。その5月、初めて参加した定例会後で、初対面にもかかわらず、気軽に年配会員の方々に総会に出席をする様に促されて、断れませんでした(当時の私は、青年部員。後に、本会員の平均年齢は約67歳と聞かされました)。 総会時、本会の年間活動を知ることが出来ました。過去(30年間)、諸先輩たちが積み重ねた各種のイベントが、毎月びっしり組まれており、本会の足跡を知り圧倒されました。入会数年後、徐々にそれらのイベントにも参加、今までの世界と違った楽しい時間を共有し、会員との絆を深めた185か月です。そして「会報」は、本会及び会員たちの情報が満載で良い刺激と元気をもらい「絆」も深めていると思います。重ねて心より感謝を申し上げます。 会員は、本会のゆるゆるさ・大人の集まり・自分をよくわきまえ・自分の体に合った走り方・歩き方・生き方、そして、今を大切に楽しく、順位より完走、スピードより健康をモットーとした本会則の良き理解者であり、実践者でもあります。その居心地の良さに魅かれた私こと「黄昏ジョガー」は、これからも笑顔で長く走り続けられるように心がけていきたいと思います。
美 寿 楽 寿 飛田 則子 走ろう会会報誌300号達成を記念して、お祝いと同時に走ろう会の走り続けてこられた長い年月に大きな意義と深い絆を感じました。300号ってすごいなぁ~!電卓で計算してみたところ300÷12ヶ月=なんと25年間❗25年に渡っての継続は伝統的と言っても過言ではないと、300号の節目に私はそう思いました。25年前、いったい私は何をしていたのかしら?そうだ!ちょうど一人息子を出産していた年でした。あの時は本当に幸せでした。あの頃だけは本当に幸せでした。(笑)(笑)結婚式からはじまり、お宮参り、七五三、入学式、卒業式、今まで普通に行われてきた行事もコロナと言う大きな災厄に暮らしが一変、今は一日も早く普通に平穏な日が戻ってきてほしいと強く願います。一週間程前に、御手洗さんから原稿待ってますとメールを頂き、何を書こうか?日々模索中の時、楽寿の言葉を知りました。楽寿ってどんなことなのか調べてみました。長寿をして人生を楽しむ、又同じ発音の聚楽じゅらくは人が集うと言う意味合いでした。走ろう会には長楽萬年、楽しさがいつまでも続く場所としてこの先も元気良く参加していきたいと思います。コロナに負けず、決して加齢にも負けず、美寿楽寿で走ります。今現在、オリンピックが開催できるかどうか話題になっています。1964年東京オリンピックの年にリリースされた水前寺清子さんの、365歩のマーチは、日々努力する勤勉な日本人の応援歌として最大のヒット曲になりました。2番と3番の歌詞を紹介します。2番=しあわせの扉はせまい、だからしゃがんで通るのね、百日百歩、千日千歩、ままになる日もならぬ日も・・・しゃがむ為には腰を低くし頭を下げるように幸せに向かう困難な道のりでも、低姿勢で謙虚であれとのメッセージが込められているようです。3番=しあわせの隣にいても、わからない日もあるんだね、一年三百六十五日、一歩違いで逃がしても・・・千里の道も一歩からのことわざより。すぐ隣にある普通の毎日に幸せを感じていた25年前のあの頃のように一日も早くその想いが叶いますように。
会報300号発刊の感激・感謝 津金 修三 言うまでもなく、300号を達成するには25年、御手洗さんは41号から編集をされているとの事、20年以上編集を継続されているという超人的パワーです。この間、いろんなピンチがあったことと思いますが、本当に頭が下がります。世界中にいろんな営利を目的としない集まりの会があると思いますが、1人で20年以上、毎月会報を編集・発刊している人は御手洗さん以外に聞いたことは有りません。感謝・感謝・感激です。 11月の理事会で花束を贈ることが決まりましたが、コロナ禍の現在、定例会を始め、走ろう会の各種行事も軒並み中止となり、会員のモチベーションも上がらない中、御手洗さんの努力により、毎月会報が継続的に発刊され続け、今も心の交流の軸となり大切な役割を果たしております。 御手洗さんがこの1、2年、言い続けていることは以下の通りです: 各種大会に参加した人は、「・・・大会に行って来ました。」だけでも良いので、是非連絡していただきたい。どんなことでも結構ですので、原稿をお願いします。 引き続き、御手洗さんに気持ち良く編集していただくためにも、会員は積極的に投稿しましょう。
相模原市市民走ろう会 会報第300号記念発行に向けて 伊藤 留 先ずは会報第300号の記念発行おめでとうございます。 事務局である御手洗さんの長年積み重ねて来た努力の賜物として、素晴らしい第300号記念会報が発行された事に 感謝申し上げます。 思い起こせば私が入会した時は第221号発行(2014年7月6日)の日でした。あれから79号発行(6年7ヵ月)された事になります。毎月の会報でいつも感心している事は、最初に世界の出来事や国内の出来事を整理して記載されている事です。また、会員からの大会等の参加報告を紹介する際、前置きとしてその大会に関する情報を述べられている点もとても参考になります。私も各種大会に参加した時は、結果は別として殆ど報告していますが、例えば、その大会には以前マイクロバスを借り切って参加していたとか、色々当時の様子を付け加えてくれるので走ろう会の歴史も感じる事が出来ます。 それから毎月の会報を一年間纏めた会報『走る そして走る』も私が入会してから第38号、第39号が発行されています。また、第40号 創立40周年記念誌と節目毎に発行され会員の一年間の感想等も掲載されて素晴らしい冊子に なっています。 今、私のこれからの目標(楽しみ)としている事があります。それは毎年同じ大会に12年間連続参加された時の年齢、距離、タイムが記載されていた記念誌を見た時です。年齢は私がこれから取って行く歳と同じ、距離も私の走力に合った10㎞。そのタイム・毎年参加の継続力・・・それを目標にしたい。その大会はビーナスマラソンで記録者は中山誠一さんです。私が入会する前の会報 創立30年周記念誌 第30号に記載されていました。(この記念誌は前々会長の松山さんから頂いた冊子です) 私も大大先輩を見習って、今はコロナ感染拡大防止等で大会開催は中止ですが、今どうかではなく、これから目指す方向を見据えて、健康マラソン・体力維持そしてタイムにチャレンジを大いに楽しみたいと思っています。最後に、これからも楽しい興味ある走ろう会会報が継続発行される様、私も会の一員として大会参加報告等をしたいと思っています。
♪「300号への水谷コメント」水谷英治 ①一番短いもの:御手洗編集長の走ろう会会報はギネス記録! ⇒理由は、300号÷12か月=25年間・四半世紀も継続中で濃厚な内容と毎回5ページはあり 5px300=1500p以上、会のコミュニケーションの要・核であり 時事も加えての機関紙を会員の声を反映し協力を得て編集局も持たずに発行し続けているのは、世界一ではないだろうか? 加えて会員にとっての必要情報は漏れなく掲載されている。 内容が盛りだくさんで、2から3か月休むと読むのが疲れるほどで、練習会のランニングよりキツイ! ②入会以来「会報」を拝読することにより この会の素晴らしさを感じ、いつも参加している気分になります。年会費は私にとっては購読料と思い「ランナーズ」よりも安く勉強になり、皆さんの活躍でモチベーションも上がります。愛読者として僭越ながらチョット気が付いたことをコメントさせていただきます。編集には査読ということがないと思いますので、氏名を時々間違えて記述されたり、アベベの東京オリンピックもローマに続き裸足のランナー(当時の新聞記事では白靴のランナーとあり映像でも白靴でしたが、会の皆さんも承知でコミュニケーションを大切にし指摘無し)と記述したりしていますが、全く問題になりません。これがとても良いと思います。正確な情報でしたり 記憶を交えての記述もあり彼女らしいと時々感じますが、天真爛漫なご性格と細かいようで物事にあまりこだわらないのは会をホットさせていますね。偉そうな言い方をし失礼をお許しください!これからも御手洗誌を愛読させていただきますので宜しくお願いします。
※水谷さん、沢山のご批評ありがとうございます。誤った記憶や情報はいけないと確認していますが、大きな間違いがあったんですね~!?(笑)ご指摘ありがとうございました。賢くやさしい皆さんの事、たとえ違っていても黙って見つめて下さっているのはとてもありがたいです。1960年ローマオリンピックの際のアベベ選手は、偶然に靴が壊れたため、新しい靴を買うつもりでしたが自分の足に合う靴が見つからず、そのまま素足で走って金メダル獲得、はだしの王者として名をあげました。幼い頃から素足での生活に足の裏の皮は普通の人より一層厚かったそうです。素足のアベベを見て、現在のアシックスの生みの親、オニツカタイガー鬼塚喜八郎さんはアベベに靴を履かせたいとアベベに面会、好反応に足型をとり靴を作って届けたそうですが、既にプーマ社と契約、1964年東京オリンピックはプーマの白シューズで走り2度目の優勝でした。皇帝の親衛隊で訓練した体、空気の薄い標高2000mの地での生活は心肺機能を高め、フルマラソン後も走れと言われればあと20㎞は走れる!と言ったそうです。 高地生活が心肺機能を高める事は、現在のアスリートたちの高地トレーニングのきっかけとなっています。 誤りがあった場合は翌月号で訂正・お詫びの文面を掲載させて頂いておりますので、お確かめ下さいますようお願い致します。編集においては、誤字や時には記憶による違った文面等ふんだんにあると思いますが、全くの素人故、ご容赦くださいますよう宜しくお願い致します。
会報300号記念 岩橋 政志 会報300号おめでとうございます。それと編集等に携わった方々長年お疲れ様です。 300号だと年間12号として25年ですね。 走ろう会の方々の歴史が刻まれた冊子なので、過去の会報を見ると懐かしく思います。 近況報告ですが、緊急事態宣言が再度出されて北総合体育館は閉館となり、その周辺の駐車場も使えなくなりました。毎週日曜日の会社の仲間が集まっての練習も場所を変えて行っています。 早く以前のような生活に戻れる日を、首を長くして待っています。
近況報告など 岡澤 武彦 走ろう会・会報300号、素晴らしいです。御手洗さん、ありがとうございます。25年になるのですね。歴史を感じます。昔の会報を探してみると、私の入会を紹介して頂いたのが232号でした。新参者です。今後ともよろしくお願いいたします。 緊急事態宣言、延長されてしまいましたね。。。なかなか、終息しません。引き続き巣ごもり、在宅勤務の継続です。全く家から出ない日も、ベランダで背伸びをするだけの日もあります。そして、早い時間から始めるので家呑みの量が増えます。でも、土日だけではなく、平日もフレックスを活用して昼休みを延長して「走る」努力をしています。なんとか1日、できれば2日走りたい。とは思っています。1月はなんとか200㎞を走れました。 さて、これを書いているのが2月4日の夜です。明日、午前10時「霞ヶ浦マラソン」の開催可否が決定されます。 さて、、、、やっぱり、、、 GPSで参加した「富士山マラソン2020」の参加賞が届きました。Tシャツは地味ですね。5千円でメダルも貰えれば御の字でしょう。河口湖から西湖への上り坂を考えると、リアルの大会への参加へのハードルは高いです。 コロナが終息し、お元気な会員の皆様とお目にかかれる日を楽しみにしています。
300号記念に想う 大沢 経一 私が41歳の時、市民健康マラソンに初めて参加、相武台中学校をスタート・ゴールとした5㎞を走り、18分24秒でした。走り終わってから、松山さんに会い、来ないかと言われ入会、現在84歳なので43年間、大変楽しい思い出が沢山あります。まずは、団体マラソン旅行です。 ①S58.青森県小泊村役所前スタート~相模原市役所に到着、872㎞を駅伝スタイルで走り終え、市長の歓迎を受ける。秋田県の竿灯祭りが良かったです。次は伊藤秀之さんの計画・実行・指導によるものです。 ②東海道五十三次、22区間、503㎞を2年4カ月、最終回は50人参加、大津市瀬田から京都三条大橋、到着後、京都走ろう会の方から大歓迎を受ける。 ③奥の細道、77区間、2400㎞、7年2か月、芭蕉が歩いた名所・旧跡をたどり平成5年5月5日、結びの地大垣に到着。全てが印象に残る非常に楽しい旅でした ④塩の道(千国街道)糸魚川~興津、14区間、321㎞、1年11か月、日本アルプスの山々を見ながらのランニングは素晴らしかったです。 当時の自己目標としては、青梅マラソン30㎞に挑戦、相模原市役所から大型バスに50名位乗り、大騒ぎしながら記録更新に向け、さぁ、頑張ろうと出発、46歳、2時間3分台、47歳2分台、48歳1分台、49歳の時は2時間を切ろうと頑張ったが残念、12秒及ばずでした。50歳の時は10㎞に挑戦、35分43秒で10位でした。これが10㎞の自己ベストです。今は膝が悪いので走れません。ウォーイングで健康維持に努めています。
会報300号記念 コメントありがとうございます♪ 勤務の関係で、一昨日(5日夕方)印刷を済ませてしまいましたが、その後にコメントを頂いた方がいらっしゃいましたので、改めてご覧いただきましょう。ありがとうございました。
♪角田 洋子 いつも、とても楽しみにしているミニ会報。記念の300号、すばらしいですね。輝かしい会の活動や会員の方々の各地でのご活躍など、数えきれない程綴られてきたのですね。御手洗様のご苦労には、感謝の気持ちで一杯です。これからもよろしくお願い致します。 これまで、サロマ、四万十川、隠岐の島、飛騨高山のウルトラランや和倉、田沢湖などのフル、青梅など、御手洗様には大変お世話になりました。昨年の青梅から一年。これまで、気軽に各地の大会を楽しんできたことが、今では全く叶わないことが辛いです。安心して外出できる日を心待ちに、大会で目にした美しい景色を思い浮かべながら、マスクランを頑張ります。
♪梶田千由紀 この度は、会報300号おめでとうございます。一昨年のフルマラソンエントリーをきっかけに、歴史ある「走ろう会」とご縁がありましたこと、大変嬉しく思います。 コロナ禍で各地のマラソン大会が中止になり、目標を見失いそうになる中、健康であることの有り難みに感謝し、練習に励む先輩方の存在に励まされる日々です。 今後とも元気に楽しく過ごすために、「走ろう会」と共に人生の歴史を刻むことが出来たら幸せです。
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