2020/2/16
|
|
青梅マラソン完走記(梶田) |
|
無知というのは、恐ろしいことです。友人に誘われ、予備知識もなく、コースも確認せず「30キロ、ハーフマラソンより少し長くて、フルより少し短い」くらいの軽い感覚で、青梅マラソンに申し込んでしまったのです。
エントリーはしたものの、11月の横浜マラソンでの初フル完走後は、約1ヶ月間走れませんでした。たった1キロ走っただけでも息切れしてしまう状態で、文字通り燃えて燃えて燃え尽きて、灰になっていたのです。
コースが高低差のある山道だということを知ったのは、ちょうど走れなかった頃でしたので、当日スタート地点に立てるのかも不安でした。ようやく少しずつ走れるようになったのも束の間、年末年始にインフルエンザや神経痛に痛めつけられ、思うようにトレーニングも捗らず、エントリーしたことを激しく後悔しました。 それでも1か月程前から何とか自分を奮い立たせ、友人と現地に試走に行ったり、坂道トレーニングをしたりと、自分なりに出来ることを準備して、最終的には「制限時間内の完走目指して、楽しもう!」という気持ちで開き直って本番に臨みました。 レース当日、奇跡的にスタート直前に雨が上がり、アップダウンの多い青梅ロードをほぼイーブンペースで、約3時間半をかけて走り切ることが出来ました。ラストもう少し頑張れなかったものか?と終わってみれば悔いも残りますが、3ヶ月前には全然走れなかったことを思えば、そこそこ満足な結果と、自分を褒めてあげることにしました。 折り返し地点が近づくと、往路を走りながら、復路のトップランナーの走りを観られるのが、青梅マラソンの大きな魅力の1つと聞いていました。最初のうちは、周囲の往路ランナーが復路の俊足ランナーに拍手したり「頑張れー!」とか声援を送るので、私も調子に乗って何度かエールを送ってみたのですが、突然私の脳内に「お前が頑張れよ!」という声が聞こえたりして、気を取り直して自分のレースに集中しました。坂を下る復路ランナーから「上り頑張れー!」という声援も聞こえてきて、速くても遅くても同じ青梅路を走ってる一体感があって、嬉しかったです。 青梅マラソンは半世紀の歴史ある大会ですから、地元の方々にとっては、この時期恒例の風物詩、お祭りのようなものなのかもしれません。歴史の重みの分だけ、地元の方々の温かい声援や優しい笑顔に励まされました。公式エイドが都市型マラソンより少ない分、私設エイドに助けられました。 復路後半ではバナナ1本皮ごと差し出すおばちゃんがいたりして、内心「食えるかーい!」と、笑いました。でもその気持ちが有り難くて、「ありがとう〜」と声をかけつつ、バナナのおばちゃんの横を足早に走り去りました。 楽しみにしていた高橋尚子さんとのハイタッチは、新型コロナウイルスの影響で叶わなかったけれど、ゴール1キロ手前で「ここまで29キロ走ってきました!もう少しです!」という憧れのQちゃんの声がスピーカーから聞こえてきて、元気が出ました。 しかしそこでラストスパートする体力と勇気は…ありませんでした。その時点での自分のコンディションを冷静に分析、 30キロ走の「残りあと1キロ」が、どんな感覚なのかを想像してペース配分出来ないのは、長距離トレーニングやレースの経験値がまだまだ浅いからだと思います。もっともっとトレーニングとチャレンジ経験値を積むことが必要となりそうです。 先輩ランナー方も、最初はみんな初心者で、あらゆる困難に遭遇しながら、こうして1つ1つ峠を超えて行くのだろうなと、素直に感じたロードレースでした。各地のマラソン大会が相次いで開催を見合わせる中、歴史と自然、そして地元の人々の温かな支援が今も残る青梅マラソン、運良く参戦そして完走できたことに、心から感謝です。 今のところ、次に目標とする大会が見つからず残念ですが、一日も早く新型ウイルスに関する非常事態が収束して、再び大会が開催されることを願ってやみません。どんな状況でも、気持ちと体力さえあれば走ることは出来ると信じて、希望を持ってトレーニングを続けていきたいと思います。 |
|