2019/6/25
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5月19日からの連戦(鈴木) |
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■5月19日 野辺山高原100kmウルトラマラソン 先週の奥武蔵グリーンチャレンジに引き続き、星の郷八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソンに参戦した。この大会は歴史ある大会で、今年が25回になる。10回完走者をデカフォレスト、20回完走者をユプシロンと呼んで、特別のゼッケンが与えられる大会で、エントリー費が非常に高価ではあるがウルトラランナーには人気の大会である。私は、今回初の参加となる。 いつものことであるが、エントリーだけして、交通手段や宿泊のことなどは直前にならないと考えないのであるが、前日の土曜日に周辺の宿泊施設を探したらすでに満室状態。仕方なく車で30分ぐらいの韮崎に宿をとった。5時スタートということもあり、早めに宿に入り食事をしてレースの準備をして早く寝た。朝3時半ごろ起きて出かけようとしたら財布がないことに気づいた。昨晩コンビニに行って財布を出した記憶があり、レシートをその財布に入れた記憶もあったので、てっきり車の中に忘れてきたのだと思っていた。チェックアウトをして車に乗り、先ずは財布を探したが見当たらない。車上荒らしなどの形跡はまったくない。これは大変なことになってしまったと思ったが、スタートの時間を考えると探し回る余裕もない。取り敢えず、昨晩立ち寄ったコンビニに行って落とし物がなかったかを確認したが該当なし。カード類も入っていたので、これは警察に届けるしかないとレースを諦めかけたが、性善説をかってにとり、きっと拾った方が警察に届けてくれることを信じて会場に向かった。 会場ではたくさんのラン友さんとお会いできたが、やはり私の顔が異常だったのか、すぐに何かあったのかと声をかけてくれた。事情を説明して励ましてもらったが、来た以上はしっかり完走しなくてはならないと頭を切り替えて、スタートラインに立った。 頭の中は、早くゴールして韮崎警察に届けを出しにいくことしかなかった。天候にも恵まれ、途中で八ヶ岳などの山々の絶景ポイントがたくさんあったが、写真をとる余裕もない。軽いアップダウンが続き、40kmぐらいまで登りが続くが、歩くこともなく、早くゴールしたい思いですべて走り続けた。途中のエイドも最初の方はすべてパスして、立ち寄ったエイドでも何を頂いたか記憶に残らないぐらい素早く立ち去る。 70kmぐらいまで、比較的アップダウンの少ないルートとなっているが、このあたりまでくると、痛みはないが、エネルギーが切れてきたのか足が上がらなくなってきた。前半の登りで頑張りすぎたのが原因かもしれない。このあたりのエイドではしっかりとエネルギー源をいただき、持っていたエナジージェルも投入し、コース最大の登りとなる馬越峠に向かうことにした。途中、3箇所で温泉に入ることができるのもこのレースの特徴であるが、時間的余裕はあるものの先を急ぐ必要があったのでもちろんパス。70kmぐらいから厳しい登りが続き始めた。 ただ馬越峠の登りはこんなもんじゃないと周囲にいたランナーの会話が聞こえた。 そしていよいよ、その馬越峠に入った。最初の方はまだ走る格好がとれるぐらいであったが、その内、後ろから誰かが引っ張るくらいの旧勾配になり、遂に歩き始めた。峠のトップまではまだ、4~5kmぐらいある。下りが苦手な私としては何とか走って登りたいところだが、その先降りてからまだ20kmぐらいあることを考えると、ここは歩いてエネルギーの温存をすることにした。そんなことを考えているとたまたま知り合いの女性のラン友さんとお会いした。この方は私よりも年上の方で、なんと今年で13回目となる。色々と話しながら進むとあっという間に峠のトップに到着した。ここでその方には先に行ってもらい、わたしは苦手な下りをとぼとぼと降りた。降りきれば、後はほとんど平坦であるが、残り5kmぐらいから想定外の登りが続いた。そしてゴール会場のアナウンスが聞こえてきたので、いよいよゴールかと思いきや、そのアナウンスが聞こえなくなるくらい遠回りをさせられ、やっとゴールに至った。タイムは12時間56分で、ある程度満足のいくタイムであったが、その余韻を楽しむ余裕はない。 早く財布を探さなければならない。 先ずは、韮崎警察署まで急いで行き、届けがなかったかを確認したが、残念ながら該当なしであった。事情を話しているうちに運転免許証も無くした財布に入っていることがわかると、免許不携帯ということで厳しく注意を受けてしまったが反則キップはきられなかった。 届けを受理してもらったあと、カードを止める手続きをしようと思ったが、もう一度宿泊したホテルに電話をして、私が止まった部屋を確認させてもらえるか聞いてみたら、その日の宿泊客はなかったのでOKが頂けた。部屋に入って再捜索をしたら、なんとベッドと壁の間にしっかりと私の財布が落ちていた。わずかの隙間なので、日々は清掃しないとのことで発見されなかったようだ。これで帰路は、堂々と車を運転して帰ることができた。
■5月25日 横須賀三浦ウルトラマラソン63km またもや先週に続いて、土曜日であるが横須賀三浦ウルトラマラソンに参加した。この大会は、100kmと63kmがあるが、ヘンタイランナーの間でも、「ここの100kmはねぇ」と敬遠されるコースとなっているので、当然私は63kmにエントリーしていた。100kmスタートは横須賀が5時なので、前泊が必要になるとこも面倒であった。また、翌日は、日光霧降高原の1445段の天空回廊を3往復する修行ランを控えていたこともあり、やや遠慮ぎみにしていた。 63kmのスタートは8時で、朝から雲一つない快晴となり、これからの気候に体を慣らすためには絶好のコンディションとなった。 このくらいの距離であればほとんど装備するものもなく、フルマラソンが少し伸びた感覚で走ることができるが、コースは、63kmと言えども結構えぐいアップダウンがあり、先週の野辺山の疲れが残っている足をいじめてくれる。 横須賀から三浦海岸に入るとしばらく平坦な海岸線がコースとなっているので、ここは気持ちよく走ることができるが、海岸線が終わってから城ケ崎までは激しいアップダウンが続き、これに、時間的にピークとなる暑さが重なりダメージが強くなる。 しかし、城ケ島では絶景が待ち受けてくれて疲れを癒してくれる。しばらく休憩したい気持ちになるが、この先もまだまだ続くアップダウンを考えると先を急ぐしかない。というのも、翌日の霧降高原に行くために、日光行きの終電に間に合わせなければならないからである。時間的には余裕はあったが、早く日光についてゆっくり休みたい思いがある。 三崎港のエイドではたっぷりとエネルギーをチャージし、残り10kmに向かった。ほとんど日陰がなく日差しが体力を消耗させるが何とか踏ん張り登りをやっつけた。引橋の最終エイドでは、「後は下りですよ」と声をかけられたが、初めての人は信じるであろうが、ゴール地点の名称は「ソレイユの丘」というところである。「丘」となっている以上、登ることになる。下りが苦手な私は、ここで無理して故障したら明日が楽しめないと思い、セーブしながら進む。というより意識的にセーブするのでなく、自然と遅いのである。多くのランナーに抜かれたが、最後のソレイユの丘への登りで歩いているランナーを抜き返してゴール。 タイムは、7時間45分で、野辺山の疲れとこの暑さでは十分である。 ゴールでは名物のマグロの漬け丼を頂けるが、三崎口までのバスが渋滞で遅れている情報があり、今止まっているバスに乗り込むために慌てて着替えてそのバスに飛び乗った。
■5月26日 日光霧降高原天空回廊の修行 御崎口ら日光というと一見大変そうに思えるが、京急と都営浅草線が乗り入れしているので、うまく電車を選ぶと浅草で一回乗り換えるだけで行けるのである。夕食は日光についてからと思ったが、いざ駅を降りると華やかさはまったくない。当然ファーストフードなどは1軒もないので、仕方なく駅周辺にただ一つのコンビニで夕食と翌日の朝食を買って素泊まりの宿に入った。 朝8時に日光駅でラン友さん4人と合流して、霧降高原までの10kmをトレイルラン、と考えていたのですが、女性のラン友さんがトレイルは勘弁ということだったので、急遽私も昨日の疲れが残っていたので、バスで霧降高原の階段登り口までお付き合いすることにした。 当然バスの方が到着は早いので、先に1445段の階段を登り始めた。降りるくらいにはトレイル3人組が到着するだろうと考えていたが、結構厳しトレイルコースとなっていたらしく、少し遅れるとの連絡があった。であればのんびりできると思い、途中に設置されている展望台に寄り道をしながら1445段を30分ぐらいかけて登り切った。時間がまだあるのですぐに降りてもトレイル3人組とは合流できないので、女性からの提案で、その先の大山に登ろうということになった。前日63km走っている私にとっては非常にきつい話であったが、お付き合いすることにした。しかし、この決断が大失敗となったことは、山を下りて天空回廊の登り口まで下りたときになって初めて気づいた。 トレイル3人組と合流して昼食を食べたあと、天空回廊を登る3人組のお見送りをしようとしたら、「合言葉は見てきたよね」と言われ、確かに合言葉を見て登り口にある事務所でそれを書いて申請しないと天空回廊を登ったと言う証明書がもらえないのである。3人にお願いしてみたが、全員が笑いながら「教えない」との回答で、「もう一度登るしかないね」と言われた。もともと3往復しようという計画でもあったので、仕方なくもう一度5人で登ることになってしまった。おかげで大腿筋強化にはとっても良い練習になった。 帰りは、5km走って、日帰り温泉でプチ打上げ、続いて浅草までの特急で打上げ、さらに浅草をフラフラしてラーメン屋さんで打上げ。とても疲れたけど楽しい修行であった。
■6月2日 奥武蔵ウルトラマラソン78km さらにレースは続き、6月2日、奥武蔵ウルトラマラソン78kmに参戦した。このレースは、50kmぐらいまでほぼ登り続け、折り返すとほとんどが下りとなるとんでもないコースになっている。昨年、水着に浮き輪を付けて仮装した女性ランナーから『浮輪族』を増やしたいというお誘いを受け、その方も含めて「オクムスイマー倶楽部」なるものを結成してこの大会に臨んだ。もともと仮装化率が高く、どんな仮装をしてもあまり不自然ではなく、応援に来ているランナーも仮装で出迎えてくれる。 スタートが早いため、当日は車で移動になるが、オクムスイマー倶楽部のメンバーを1名乗せるため、都内経由で会場に向かったが、途中でスタート時間を1時間間違えていることに気づいた。多少余裕を見た時間設定をしていたので会場到着はぎりぎりだったが、同乗していたランナーの方は既に仮装済であったので駐車場には入らずに、スタートラインの直近まで行って降ろしてすぐにスタートしてもらった。私は、それから駐車場に移動し、あれやこれやと準備に時間がかかり、スタート撤収の10分が過ぎてしまいそうだったので、先にチップをスタートラインに通してから準備を継続し、約15分遅れでスタートした。 スタートすると直ぐに登り坂となるが、仲間に追いつくためにここは必至で走り抜ける。20kmぐらいまではアップダウンの繰り返しとなるが、先行した仲間は登りを歩いていたために10kmぐらいのところで追いついた。しばらくは、浮輪族4人で走っていたが、私はスタート前にトイレにもいっていないので、2つ目のエイドステーションでトイレタイム。ここの行列が長く、約15分のロスとなってしまった。当然、前に行った仲間には中々追いつくことができない。それよりも、私にはもう一つ重要なミッションが与えられていて、このオクムスイマー倶楽部のメンバーの一人が初のチャレンジだったので、この方の完走請負人となっていたのであるが、遅刻したためにまだ合えていない。何とか登りが続いている間に追いつかないと下りでは追いつけないと思い、必死で登りを走り、先ずは先ほどの仲間に追いつき暫し並走、そしてさらに加速して折返し地点でやっとターゲットのラン友さんに追いついた。しかし、その時はすでに別のメンバーがサポートしていてくれたので安心した。私よりもきめ細かいタイムスケジュールを組んでいたので、どうせ下りは付いていけないので、完走請負人はその方にお任せし私は下りの練習をしながらゴールすることにした。最後は、制限時間を目一杯使い、オクムスイマー倶楽部のメンバー7人でゴールし、楽しい思い出を作ることができた。
■6月15日~16日 日光千人同心街道四十里ジャーニーラン160km この大会の趣旨は、主催者の言葉を拝借すると次のようになっている。 江戸時代、徳川氏の関東入国に伴い、かつて甲斐国・武田氏に仕えていた武士が幕府の家臣として、江戸城と甲州口の防備にあたるようになったのが八王子千人同心。往時、その名の通り 1000 人の心が八王子千人町を中心に居住していたという。後に日光東照宮火の番が彼らの主たる任務になり、八王子千人町から拝島宿、坂戸宿、館林宿へと北上し、天明宿(佐野市)で例幣使街道、楡木宿(鹿沼市)で壬生街道、今市宿で日光街道に合流して東照宮に至る四十里(約160km)の道程を50 人ずつ交替で参じることになる。 この道筋こそが千人同心街道(別称日光脇往還、日光裏街道、日光火之番街道)で、承応元年(1652 年)から慶応4年(1868 年)までの間に1000 回を超える勤番のための往来があったといわれている。 歴史の舞台から彼らの姿が途絶えて150 年の時が流れた今、私たちはその史実を追体験する旅に発つ。
これを読むと、何か歴史の確認をするような、のんびりと時間が流れるケースのように見えるが、これは表向き?の言葉で、実際は、その史実を確認するために、32箇所のチェックポイントの写真をとってゴール後の確認を受けなければならない。そのチェックポイントの中には、〇〇宿本陣跡(長谷川家)など、普通の民家になっているところもあり、昼間ならともかく夜中にそんな表札を探すのは一苦労なのである。そして、第一回となるこの大会を迎えてくれたのが西八王子のスタート時点からの土砂降り。 スタートは、6月15日(土)8 時、千人同心に縁のある興岳寺で、ゴールは東照宮を経て日光市交流促進センター「風のひびき」となっている。ゴール閉鎖時間は、6月16日(日)13時で制限時間29 時間となっている。 このレースは第1回ということもあり、さらに現在は複雑化している旧道がコースとなっているため、地図読みが重要なポイントである。私は、昨年このレースの企画段階から館林まで試走をしていてある程度は地図無しでも行けるので、それを知ったラン友さんが着いてくるということになっていた。しかし、その方は、なんと川の道の女性歴代1位の称号を持っている方なので、ものすごいプレッシャーとなった。 半分冗談かと思ったが、実際にスタートするとしっかり着いてきたので、その内、私の遅いペースに嫌気をさして先に行くのかと思いきや、まったくその様子はない。私も極力頑張って走り、逆に走るのに飽きてきたらその方に先行してもらい、道案内を後ろから行うこともあった。試走してから半年以上経っているため、さすがに道案内も完璧とは言えず、ロストを一回だけしてしまった。 館林がちょうど半分ぐらいの80kmで、スタートしてから12時間後に到着した。ここで、残りをどのくらいのペースで走れば良いかを考えた。まったく同じペースで残りの80kmも12時間で行けば、24時間で完走。制限時間が29時間なので5時間の余裕があることになる。当然、80km走ったあとも同じペースで走れる訳がなく、東照宮への登り坂を考えるとプラス3時間ぐらいと考えて館林をスタートした。 雨はだんだん小降りなり、佐野市にはいってからはカッパが不要となった。しかし、栃木宿旧本陣を過ぎたあたりで、一緒に走っていたラン友さんが、「30mm/hの雨が間もなく降ってくる」と言い始めたが、まさかそんな雨が降るわけがないと思っていたら、いきなりバラバラときた。慌ててカッパをきたが、雨足はどんどんと強くなってきたので、一旦鉄道の高架下で退避した。その時にまた、気象情報を見た人が70mm/hに変わっていると言い出した。何時止むかも分からないので、ならば30mm/hの内に距離を稼ぐしかないということで、土砂降りの中を走り始めた。この時点でカッパは役に立っていない。しばらく行くと予報どおり、滝のような雨に変わり、車も走ることができないくらいに道路が川となってきた。そこに激しい落雷があったので、さすがに恐ろしくなり中古車屋さんの軒下に逃げ込んだ。30分ぐらいして雷がおさまってきたので、雨はまだ強いが前に進み始めた。こうなると上からの雨だけではなく、車からの水しぶきもまともに受けなければならない。 鹿沼宿を過ぎたあたりからようやく小降りになり始め、その頃には明るくなってきていたため、眠さからは解放された。この先は、有名な日光杉並木となる。車では通ったことはあるが、まさか走って通るとは思っても見なかったので興味深かった。 最初の内は、杉だけではなくイチョウもまじっていて、しっかりとした歩道もあったが、あるところから歩道がなくなり、杉並木の中のトレイルを進むことになる。しかしこのトレイルは枯れ枝や切株が多く、それが草で見えず非常に走りづらいところであった。そんな区間が7kmぐらいつづくとうんざりしてくる。しかも登りが続き、さらにまたもや雨が強く降ってきた。なんども転びそうになって気を付けて走っていたが、とうとうこの区間の最後で転倒してしまった。擦り傷程度で済んだのは不幸中の幸いである。 残り約20kmとなったが、体力消耗は激しい。しかし、このころになるといつの間にか5~6人の集団になっていて、みんなで道を確認して、励まし合いながら進むことができたので、いつの間にか日光の駅前を通過し、東照宮まできていたという感じであった。ゴール地点には10時45分ぐらいに到着し、無事に日光千人同心としての道案内の任務を終えることができた。 今回は非常に慌ただしい旅になってしまったが、いつかゆっくりと宿場町で休みながら、この道を旅してみたい気持ちになった。 |
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