2019/6/2
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新年度のラン始動(鈴木) |
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彩湖ウルトラマラソン70km 彩湖70kmは、昨年度、年代別2位となった大会であるが、今年は、2/23・24に行われた小江戸・大江戸200km以来、まったく走っていない状態での参加ということもあり、サブ7を狙ってみたが後半にベースが落ちてしまった。コースは、彩湖の周回コースで、15周するのであるが、エイドは途中に2箇所設置されていて、食料や飲み物はバラエティに富んだものがあるため、ほとんど手ぶらで走っても問題ない。キロ6分を継続できればサブ7は見えてくるのであるが、エイドでの食事時間を考慮するとキロ6分を少し切るペースでないと厳しく、さらに後半はエイドでの滞在時間が長くなってしまうので、スタート当初は、キロ5分半ぐらいのペースで入ってみた。30kmぐらいまではイーブンで行けたが、それ以降徐々にペースが落ちてきたので、これはかなり持続筋が低下しているのではないかと感じた。10周目ぐらいが一番遅くなりキロ7分台になってしまったが、エイドで沢山食べてからは持ち直してキロ6分台に戻ったが、6分を切る力が絞り出せず、ゴールは惜しくも7時間1分20秒で、年代別5位という結果で終わってしまった。
奥武蔵もろやまトレイルラン24km 続いて、翌週の奥武蔵もろやまトレイルランは、私にとってはタイムも順位も競う大会ではなく、眠っている大腿筋に刺激を与えるためにエントリーしているので、ケガだけは無いように注意して走った。のどかな奥武蔵もろやまの里山トレイルを走るレースで、新緑の中、爽やかに楽しみながら走ることができた。途中で、知り合いのラン友に会い、その方は初チャレンジで絶対完走したいとのことでしたので、完走請負人を引き受けて一緒にゴールすることができた。 しかし、その当日から大腿筋の筋肉痛が出てしまうほど、筋力低下が著しく、翌週4/30(火)からの「川の道」までに復活することができるか不安になったが、4~5日で痛みもなくなり、その後軽く走ってみたが全く問題はなかった。タイムは、4時間35分で、非常に遅い結果となったが、この2本のレースで、何とか寝ていた筋肉を起こし、低下していた心肺能力も多少なりとも高まったという感じにはなった。
川の道フットレース(平成から令和へ) 全長514km。荒川の河口から遡上し、千曲川、信濃川の川沿いを進むジャーニーラン。その魅力は中々言葉で表せない。その過程には、辛いことがたくさん待っている。今年で8回目となるが、その魅力の誘惑に負けてまた走ってきた。 雨予報の4月30日朝、スタート地点である葛西臨海公園駅前に集合。全国から集まってくる川の道戦士達と1年ぶりの再会となる方も多く、雨が降る中でも非常に和気あいあいとした雰囲気である。 9時に駅前をスタート。私はザックを濡らすと重たくなるので、大きめのコンビニカッパをザックの上からかぶってのスタート。雨は小降りで、しばらくすると雨は上がりカッパは不要となった。今年はサブ5(Day)を目標にしていたこともあり、スタートから先頭集団についていった。気温も低く非常に走りやすい環境であった。最近調子を上げている上位候補のランナーもこの集団についていた。 20kmぐらいあたりから、異変が起きた。そんなに寝不足ではないはずだが、なんと明るい午前中から眠気が襲ってきたのである。知り合いのランナーと話をして眠さを紛らわそうとするが、しばらくするとまた強い眠気に襲われる。仕方なく、先頭集団から離脱し、単独でダラダラと進むことにした。しばらくするとまた雨が降ってきた。カッパを頭からかぶるが、このカッパが耳のところですれる音が単調で眠気を更に強めた。 なんとか最初のCP1(39.0km)に到着したので、ここにあるトイレで顔を洗い、頭から水をかぶったりして目を覚ますようにした。ここには応援のラン友さんが来ていて、しばらく自転車で並走してくれた。おかげで何とかしばらくは眠気も来ないでいつもの走りで、CP2(51.2km)、CP3(67.5km)を順調にクリアできた。しかし、CP3からは単調な荒川の河川敷で、また強い眠気が襲ってきた。そこに後ろから賑やかな集団(女性3人のおしゃべり軍団)が来たので、私のペースより多少早いが仲間に入れてもらった。ペースを計ったらキロ7分半から8分ぐらいのペースであったが、私は息を切らせる状態であった。そんなバカなことがあるのか、これは私のLSDのペースである。やはり何か体調が悪いようである。CP4(76.6km)まで何とかくらいついて行き、そこでその集団からは離脱した。そこからは何もない河川敷と別れ、大芦橋を渡り熊谷市内の国道の走行となる。コンビニなどもあり、眠気もようやく治まってきた感じだ。 CP5(89.1km)が23時44分で、サブ5(Day)の計画からは3時間ぐらい遅くなっているが、514kmもあるのであまり気にしてはいけない。気にしていたのは、0時0分がどこだろうということで、平成から令和に変わった場所は、熊谷市内の国道140号線上であった。 雨も完全に上がり、その後、強い眠気も襲ってこないで比較的順調に進み、第1レストポイントになっているCP8(151.8km)の小鹿野町両神荘にはお昼ぐらいに到着した。 ここでは先ず温泉に入り、食事を摂った後3時間ぐらいの睡眠を取り、5/1の17時半ぐらいにスタートした。 ここからは暗闇の中、2つの峠を越えなければならない。最初の峠は志賀坂峠で、ここはトンネルを通過し、次は上野村からぶどう峠(約1500m)を越えなければならない。最初の峠である志賀坂トンネルに着いたのは22時ぐらいで快調であったが、下って上野村に入ると眠気がピークになり、ちょうど足を痛めて歩いていたランナーがいたので一緒に話をしながら歩いて進んだ。 日が変わり5/2、ぶどう峠への分岐点の川の駅に私設エイドが出ていたので、ここで少し休憩させてもらい、4時にぶどう峠に向けてスタートした。ダラダラ歩くと絶対に眠くなるので、気合を入れて峠まで走りきることを心に決めた。走ると言っても走る格好であって決して早いものではないが、歩くよりは早い。夜が明け、つづら折りの道が上の方に次から次へと見えてくるのが非常つらかったが、何とか峠まで走り切り、通常であれば5時間ぐらいかかるところを、約3時間で登り切った。CP10(207.8km)到着は、7時17分。ここで短縮した時間は大きい。後は第2レストポイントの小諸まで一気に行けば、多少長めの睡眠と休憩が待っている。最初のレストポイントは興奮が冷めずに熟睡ができないが、小諸までくるとしっかりと眠ることができるのである。 そして、CP13(259.6km)の小諸のホテルには18時半に到着した。食事を摂ってから温泉に入ってゆっくりと寝ることにした。ところが、気配りの無い人が、寝る部屋に何やら荷物を持ってきて、暗い中でガサガサ初め、それで目が覚めてしまった。時計を見たら5/3の1時過ぎで、4時間は眠れたのでそのまま起きてスタートの準備を始めた。 ここでの寝不足が、飯山から津南にかけての夜間走行にどんな影響が出るか非常に不安であったが、サブ5(Day)の計画からするとかなり前倒しとなるので、明るいうちに距離を稼ぐことにした。 準備に時間がかかり、小諸をスタートしたのは2時半ごろになってしまったが、スタートしてからは順調に走ることができ、長野市内には予定よりも1時間ぐらい早く入ることができた。しかし、日差しが後頭部を照り付け、この頃になると気温も上昇し、走るペースも段々と遅くってきた。取り敢えずCP16(316.5km)善光寺まで頑張って昼飯タイムにすることにした。 善光寺では毎年恒例になるが、200円のお賽銭で残り200kmを走りきることを祈願した。 昼食をコンビニのイートインで取った後はしばらく歩いた。今回は胃腸の調子が良く、朝昼晩と夜食をしっかりと食べることができるので非常にありがたい。 次のCP17(330.9)までは単調な道が続き10kmぐらいの距離ではあるが非常に長く感じる区間である。ちょうどうんざりしていたときに、車から応援の声がした。見ると、途中でリタイアしたランナーが二人乗っていた。運転していた人もラン友さんで、応援兼来年チャレンジするためのコースの下見にきていた方でした。 これで元気になり、その後16kmぐらい先の飯山駅まで一気に進み、さらにその先の菜の花ロードも初めて明るい時間に通過でき、夕日に照らされる菜の花畑を見ながら快走することができた。 そしていよいよ、私にとっては川の道の最大の難関となる野沢温泉村から栄村の夜間走となる。コンビニもなく明かりはほとんどない区間である。 案の定、日が沈むとすぐに強烈な眠気に襲われた。前後にランナーは見えず単独走がしばらく続き、標識やガードレール、木の枝などがみんな人に見えてくる幻覚が何度も現れる。そんな状態で前方に揺れる明かりを発見。なんとラン友さんの私設エイドである。大きなテントでたくさんの椅子を並べて大々的にサービスをしている。この区間で正に神の存在です。そこでトマトスープなどを頂き暫し休憩をさせていただいた。 気分もリフレッシュ、眠気もなくなり15分ぐらいでスタートした。2~3kmぐらいは元気に走れた。しかし長続きするものではない。栄村が近くなってきたところで激しい眠気が襲ってきた。なんどもしゃがんで目をつぶり、騙しだまし前に進むが、寒さが身に染みる。昼間の天気が良すぎた影響で放射冷却になっているようだ。栄村に入れば、毎年サービスしてくれている私設エイドがあるはずである。それを信じてとにかく一歩一歩前に進んだ。 そして今年もその私設エイドはあった。食べ物や飲み物もあったが、ヨレヨレの私を見てすぐにテントに案内してくれて、そこで30分ぐらい寝かせてもらった。時間になったらちゃんと起こしてもらい、軽食と飲み物を頂き、気合を入れて元気にスタート。後は一気に最後のレストポイントになっている津南CP19(393.0km)の三箇小学校まで行きたいところであるが、新潟県の標識を見てから気が緩んだのか、またもや眠気が襲ってきた。しばらく単独でフラフラと歩いていたが、前方に赤い点滅灯が見えた。どうせ幻覚だろうと思ったが、だんだん近づいてくる。一旦立ち止まりその点滅灯の動きを確認した。明らかにランナーだ。これで多少目が覚めてなんとか追い付こうと走り始めた。やっと追いついてみたら、なんと今年初のフルにチャレンジするというラン友さんであった。私と同様に眠気と戦っていた。であれば、津南のレストポイントまでご一緒しましょうということで、どうでもいい会話をしながらそのまま二人でレストポイントに無事到着した。時刻は5/4午前4時半ぐらいであった。 この最後のレストポイントでは、毎年しっかりと睡眠をとることができる。ここは温泉とかお風呂はないが、シャワー施設はあるので先ずはシャワーを浴びてから、サラダ、納豆がけカレーライスをたっぷりと頂き寝床に入った。この時点では余裕のサブ5(Day)であったので、目覚まし無しで寝床に入った。しかし、これが大きな失敗であった。5~6時間ぐらいで目が覚めるだろうと考えていたが、なんと7時間も寝てしまった。慌てて準備をして食事をとらずに出発した。それでもまだ、しっかり走れればサブ5(Day)はいけそうだが、どこか痛くなったりマメができたりしたらアウトなので、無理はせず、キロ8分半ぐらいのペースで進んだ。 十日町を順調に通過して小千谷市内に入ったら急にお腹が空いてきた。何か食べようと思って最初に思いついたのはラーメンである。一度思いついたら頭から離れない。次のCPにはカップラーメンとか飲み物もたくさんあるところであるが、我慢ができずに途中にあったラーメン屋にチェックイン。この時点でサブ5(Day)は諦めることにした。 胃に負担をかけないように、麵柔らかめ、味濃いめで良く噛んで時間をかけてスープまで全部平らげた。 食後はしばらく歩いた方が良いので、次のCP21(437.2km)まで歩いて進んだ。ここにはアルコールもあり仮眠もできるところであるが、そこに居た川の道のレジェンドにサブ5(Day)を諦めたことを告げると、「まだ間に合うからすぐに出ろ」とのアドバイスをいただき、仮眠をしようかと思っていたが、ケツを叩かれて急遽スタートした。 日没は過ぎているがまだ周囲は明るく、眠気もなかったので、いいペースで走ることができた。暗くなってから長岡市内に入り、市街地を抜けると殺風景なところで毎年眠くなる区間に入るが、まだサブ5(Day)のケツを叩かれた効果が続いているのか、眠気はこなかった。見附市の手前で国道8号線に出ても、まだアドレナリンモードは続いていて、CP23(474.9km)となっている三条大橋には5/5の深夜1時前に着いた。サブ5(Day)は5日の午前9時までにゴールすればいいので、あと8時間は残っている。距離は約40km。キロ10分で歩いても行ける計算になるが、食事やトイレなどを考えると多少は走らないと間に合わなくなる。でも何とかサブ5(Day)は見えてきた。 しかし、このようなことを考えたのがとんでもないことになった。気が緩んだのである。街灯もない真っ暗闇の国道。そう簡単には前に進ませてくれず、強烈な眠気が襲ってきた。ここで眠気と戦っていた一人のランナーに追いつき、おしゃべりをしながらしばらく並走したが、私のヘッドランプの電池が切れたので先に行ってもらった。そこからがまた眠気の嵐。ところどころにコンビニはあるので、仮眠しようかと思ったが、この夜も放射冷却でかなり冷え込んでいて眠ってしまったら大変なことになると思い、歩きを続けた。当然キロ10分よりも遅いペースである。そして遂に耐え切れず、コンビニで温かい飲み物を2本買って抱え込むようにして寝てしまった。多分40分ぐらい寝ていたかもしれないが、目が覚めたら空が白み始めていた。これで眠気ともお別れできると思いいざスタートしようとしたが、体か冷え切ってガチガチに固まっていた。しばらくその場でラジオ体操のようなことをやり、体を温めた。残り23kmでサブ5(Day)までは3時間半を切っている。歩いたら絶対に間に合わない。しかし、走れるか。そんな葛藤をしながら取り敢えずジョグペースで進んでいると、びっこを引いて歩いているランナーに追いついた。その方は足を痛めていて、完走はできそうなので、ゴールまで歩いて進むとのこと。私の事情を話したら、「どこも故障していないのであれば走りましょう。サブ5(day)間に合いますよ」と言ってくれたので、その言葉が私の情けない考えを封じ込み、最後のアドレナリンモードに切り替えることができた。 確かに痛いところはなく、マメもできていないのだから、あとは気力だけだ。そう思ったらペースも上がり一気にCP25(510.4km)の日本海(我々はここを「川の道岬」と命名して、ここで感動を味わうところになっている。)まで到達してしまった。ここには、途中でリタイアしたランナーが已むに已まれず応援の方の車に乗せてもらい、みんなを迎えてくれていた。ここで記念撮影をして、残り3.6kmのゴールに向かった。ゴールはなんと午前8時過ぎで、何とかサブ5(Day)を達成、119時間13分10秒の旅が終わった。 今回は、今まで以上にたくさんの応援や私設エイドに恵まれ、また、たくさんのランナーと励ましあいながら念願サブ5(Day)を達成することができたことに感謝しなければならない。 川の道は、希望の道、努力の道、友情の道、感謝の道、そして感動の道。
奥武蔵グリーンチャレンジ42.195km この大会は、一昨年までは秋に実施していたので、毎年フルマラソンの練習として参加していたが、昨年は、スタート地点のもろやま運動公園から横瀬の間の42.195kmを2日で往復する2dayマラソンに変わってしまったので開催されなかった。今年は5月に実施するということなので何も考えずにエントリーをしていた。しかし、この日は、川の道514kmの1週間後であることに後で気付いた。 最悪DNSでも仕方がないと思ったが、今年の川の道は、まったく故障なしで、マメ一つできない状態で終わったので参加することができた。 天気にも恵まれ、奥武蔵の新緑の中を気持ちよく走ることができた。しかし、私としてはこのレースの位置付けをリハビリランと大腿筋強化としていたので、豪勢なエイドでたっぷりと食べることも楽しみながら、登りはしっかりと走った。主催者も川の道と同じスポーツエイドジャパンなので、エイドのスタッフは川の道にもいた方が多い。当然、エイドでおしゃべりが弾み長居することになる。ほとんどの方はびっくりして、「何でまた走っているの」、「おかしいんじゃない」などと声を掛けられる始末。確かにこのコースは42.195kmというフルマラソンではあるが、約30kmで900mを登り、残りの12kmで一気に下るというとんでもないコースなのである。 当然、坂がきつくなると歩きたくなるが、今年は、6月、7月で2本の大きなトレイルにエントリーしているため、歩かずに最後まで走り切るようにした。 中には、私が走るよりも歩く方が多少早い方もいたが、基本的には歩くよりは早いことが確認できた。ゴールタイムは、4時間53分ではあるが、このコースで5時間が切れればまずまずの成績であり、良い練習になった。翌週は、野辺山100kmで更に大腿筋を強化する予定である。 |
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